特徴等
本願寺は浄土真宗本願寺派の本山寺院で、下京区堀川通に面して境内を構える。文永9年(1274)、親鸞の末娘覚信尼が東山大谷の地に親鸞の遺骨を改葬し、廟堂を建立したことに始まり、室町時代の八世蓮如のころには多数の門徒を抱える仏教集団に発展した。寺地は東山大谷、山科、摂津石山などを転々とした後、天正19年(1591)に豊臣秀吉より現在の寺地を与えられ、伽藍が整えられた。境内に建つ御影堂、阿弥陀堂など8棟が国宝、経蔵や鐘楼など10棟が重要文化財に指定されており、浄土真宗本願寺派本山のたたずまいを今に伝えている。
書院 (対面所及び白書院) (国宝) は、桁行38.5m、梁間29.5m、入母屋造、本瓦葺の建物で、玄関棟の西北に接続して建っている。桃山時代に発達した豪壮華麗な書院造の様式の代表的なもので、座敷飾(床、違棚、帳台構、付書院)を完備し、金碧障壁画や彫刻で飾られている。
対面所は寛永年間(1624-1644)の造立で、白書院はそれよりやや古く、もとは別々の建物であったが、後になって今のように接合された。対面所には、対面のための鴻の間 (おおとりのま) と、控えの間三室がある。鴻の間は203畳敷きの大広間で、上段・下段があり、欄間に雲中飛鴻の彫刻があるので鴻の間と呼ばれている。対面所の一部は畳を取り除くと能舞台となる構造となっている。控えの間は、描かれた襖絵などから雀の間・雁の間・菊の間と呼ばれている。
白書院は、小広間とも呼ばれ、門主の対面の儀式や賓客の接待などに使われていた。二十四畳敷の一の間 (紫明の間) を主室とし、二の間、三の間 (孔雀の間) の三室が一列に並んでいる。
書院の障壁画は、ほとんど渡辺了慶とその一派の筆になるもので、小室の雀の間は円山応挙門人の円山応瑞とも吉村孝敬の筆ともいわれている。

参考資料:本願寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-2-5

手前:能舞台  背後:書院

手前:能舞台  背後:書院
本願寺書院(対面所及び白書院)
(撮影:2022-12)
本願寺書院(対面所及び白書院)
(撮影:2022-12)
       
       
       
       
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番号・名称 年 代   構造等
205 本願寺書院(対面所及び
   白書院) (国宝)
元和4年
(1618)
桁行38.5m、梁間29.5m、一重、入母屋造、妻入、庇及び濡縁付、本瓦葺
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    京都府の重要文化財建造物         2018-2-1 現在